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2016.06.27

インバウンド×アントレプレナー講演会レポート

近江のファンを世界に広げ、近江の元気の原動力とするためには Part 2

須田健太郎氏

5月27日(金)、彦根商工会議所4階大ホールにおいて、須田健太郎さんを講師に迎え「インバウンド×アントレプレナー講演会」が行われました。演題は「近江のファンを世界に広げ、近江の元気の原動力とするためには」。OTBウェブマガジンで、3回に分けて連載します。Part 1はこちら

意思決定とスピード

 「22歳で大学を卒業し、26歳で会社を創る」ことを決めた須田さんは以後、「最短で世界企業を創れるかどうか」を基準に意思決定をしていくことになる。
 2005年12月、須田さんの人生が一変する。大学を中退することにしたのだ。世界企業の社長になるには、大学卒業の肩書は必要無い。一刻も早く社会に出て、自分自身が成長し、いち早く会社を創りたいという強い念いからだった。ITエンジニアを派遣する会社に入社した。就職は会社の仕組みを勉強するためだった。
 このとき須田さんは、26歳で会社を創るという目標を2年前倒し、「3年で資本金1000万を貯め24歳で会社を創る」と目標を修正した。
 社員数82人のベンチャー企業に、21歳最年少で入社した須田さんは翌年、トップセールスとなった。
 2007年5月退職。1年間で300万円貯金し、株式会社フリープラスを設立する。このとき「どういうビジネスを自分がやりたいか」、事業モデルはなかったが、世界企業を作ると決めてから、2年2ヶ月で実際株式会社フリープラスが生まれた。須田さん22歳である。
 FREEPLUSは、ITエンジニアの派遣業で会社を運営しながら、人生を投じるべき事業を探すことになる。1年目の決算で売上高が1・9億円。2年目の売上高が3・2億円。会社は順調そのものだったが、2008年10月、リーマンブラザーズが破綻して世界大恐慌がFREEPLUSを襲った。
 毎月赤字を計上するようになり、夜も毎日涙が止まらないぐらい苦しく、頑張ればなんとかなるという状況ではなくなった。会社をたたみ大学に戻るか、それとも銀行から借り入れし経営を続けるのか、2つの選択肢があった。結果、1500万円を銀行から借り入れた。
 同じことをやっても会社は潰れるだけである。経済が右肩下がりでも、マーケットが成長し、毎月継続的に収益が確保できるビジネスは何か…。須田さんが見つけたビジネスは「SEOサービス」だった。
 SEO(Search Engine Optimization・サーチ・エンジン・オプティマイゼーション)は、特定の検索エンジンを対象として検索結果でより上位に現れるようにウェブページ最適化を実施することだ。
 紀伊国屋書店に行き『よくわかるSEO』という書籍を購入し、1日で読み、これなら営業ができると思ったという。
 2009年2月、「SEOサービスをスタート」させた。一人で電話で営業をかけ、コツコツやっていった。3期目に黒字に戻り、4期目に安定した利益を稼ぎ出せるようになった。
 そして2010年、須田さんは「世界企業になるための事業」、「自分の人生を全て捧げてもいいと思える産業」を探し始めた。二つのこだわりがあった。ひとつは「B to C」。人と人が触れあうことによって、誰かの心が幸せになるサービスを人を介して提供したい。もうひとつは、「即座にグローバル展開が可能」ということだった。最初からグローバルに展開できるビジネスモデルを目指した。そして勿論、成長産業である事が前提条件だった。

日本の元気の原動力となる

 須田さんが、事業を探しているときに、耳に入ってきたニュースがあった。2010年、日本のGDPは1968年に西ドイツ(当時)を抜いて以来、42年間維持してきた米国に次ぐ「世界第2位の経済大国」の座を中国に明け渡すことがほぼ確定した。そしてその頃から、日本の家電メーカーもアジア勢に取って変わられるようになった。これからは人口が大幅に伸びる、人口ボーナスによるGDP増はほぼ見込めない。
 戦後、たった27年で日本はGDP世界2位の大国となった。それは、私達の先輩達が死に物狂いで、日本を立て直してくれたからであり、私達が平和の中で暮らすことができるのは、先人達のお陰なのだ。私達が日本の未来を創っていかなければならない。須田さんは25歳のとき、そう思った。しかし、少なくとも須田さんの周囲では、日本のために頑張ろうという若者はいなかった。若者がこの日本を背負っていかなくてはならない。会社を創るなら、世界にインパクトを与えることができる、この日本の国を元気にする事業をやらねばいけない。
 須田さんの世界企業へのこだわりはこれで三つになった。「B to Cであること」「いきなりグローバル展開が可能であること」、「この国を元気にできるビジネスであること」である。そして、見つけたのが訪日観光産業だった。
 日本は今までのように物を輸出することによって、外貨を獲得して国を豊かにしていくということはできない。外貨を獲得する有効な手段として、この国を観光立国させる。多くの外国人観光客に日本に来ていただくことで、外貨を得る。訪日マーケットはまだ盛り上がっていなかったが、全てぶちこんでいこうと決心した。
 「日本の観光立国を成し遂げて、日本のファンを世界に広げて、日本の元気の原動力になる」。
 FREEPLUSの掲げる使命はこのときに生まれた。  FREEPLUSは企業の使命以外にもうひとつ「人生に残る思い出をプレゼントする」という理念を掲げている。脳みそには80年分の情報が蓄積され続けていく。その中で実際に「自分の人生を振り返って、日本に行って本当に良かった」とそう思われる思い出を海外の方々にプレゼントしたい。
 使命は「やらなくてはならないこと」、理念は「やりたいこと」である。この「使命」と「理念」をベースに、須田さんは「訪日観光産業のありとあらゆる領域に参入をしていく」ことを決めた。
 訪日観光産業の中で、自己資本がなくても事業拡大しやすいビジネスが「訪日旅行業」だった。訪日旅行を企画し、提案して、発注をいただく。企画力と営業力をもっていれば参入できるビジネスだ。
 2010年の10月、訪日旅行業で世界企業を創ると決めた翌日、須田さんは単身上海に渡った。外国人観光客に特化したランドオペレーター事業を展開する今のFREEPLUSは、ここから始まった。(to be continued)

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