ISSUE 10

観光庁登録DMO 近江ツーリズムボード Web Magazine | 2016.06.27 Mon.

Stay hungry. Stay foolish.
「ハングリーであれ。愚か者であれ。」スティーブ・ジョブズの言葉

お知らせ

HIKONE premium symposium

「“観光”産業による地域活性化」シンポジウムのお知らせ

道後温泉絵葉書「伊豫道後温泉神の湯」道後温泉管理事務所蔵

「観光」でまちおこしをするという発想がまったくなかった時代、「人を呼んで潤うべし」と、ひなびた湯治場を一大観光スポットへと変身させたのが、伊佐庭如矢(いさにわ・ゆきや)だ。「日本初の成功モデル」といわれている。伊佐庭は、廃城となる寸前だった松山城を救った人物としても知られ、道後温泉の改築に着手したのは、61歳のときだった。 伊佐庭如矢研究の第一人者である、愛媛大学胡教授の講演とパネルディスカッション。 滋賀県、湖東・湖北地域、彦根市地域における、観光による地域活性化策を探ると共に、観光産業で起業を目指す可能性を学ぶ。

HIKONE premium symposium「“観光”産業による地域活性化」

2016年7月28日(木)受付 13:30~
会場 彦根商工会議所4階大ホール
受講無料・定員100名

【第1部】基調講演
「“観光”産業による地域活性化」14:00~15:00

講師:愛媛大学法文学部教授 胡 光氏

【第2部】パネルディスカッション
「今、近江の観光に必要なものとは」15:15~16:30

パネリスト
愛媛大学法文学部教授 胡 光氏
滋賀県観光交流局局長 西川 忠雄氏
滋賀県立大学副理事長 堺井 拡氏
彦根市副市長     山根 裕子氏
コーディネーター
彦根商工会議所会頭   小出 英樹

主催:彦根商工会議所
共催:(一社)近江ツーリズムボード・滋賀中央信用金庫
協力:(公社)彦根観光協会
後援:滋賀県・(公社)びわこビジターズビューロー・彦根市・国立大学法人滋賀大学・公立大学法人滋賀県立大学・聖泉大学

現地レポート

台湾「日本の観光・物産博 2016」レポート

 6月24日〜26日に台湾・台北駅で開催された「日本の観光・物産博2016」には、53ブースが出展し、そのうちの一つとして近江ツーリズムボードも参加しました。
 今回のミッションのメンバーは企画委員の上田委員長、田井中副委員長をはじめとした7名で結成され、23日から台湾へ旅立ちました。

左から時計回りにアルジェト株式会社 嶋津様、株式会社平和堂 清水様、近江鉄道株式会社 河合様、ホテルサンルート 田井中様、事務局 小島、株式会社やす井 坂口様、株式会社千成亭 上田様(袴姿は通訳)

 観光・物産博初日は一圓総務委員長にもお手伝いいただきまして、パンフレット詰めから始まり、12時からのオープンに備えました。開会式前から多くの方に興味をもっていただき、井伊家の赤備えの甲冑を着た上田様、坂口様の周りには写真を撮ろうと多くの方が詰めかけました。2日目はステージパフォーマンスもあり、近江をPRしたのち、侍とのジャンケン大会で大いに賑わいました。
 持参したパンフレット1500セット全てを3日間で渡しきり、一番多く用意していた近江ツーリズムボードの会員の店舗情報を記載したパンフレットは1800枚配布しました。店舗のクーポンもついておりますので、7月に滋賀にくるという台湾の方がこのパンフレットを嬉しそうに持って帰られたのが印象的でした。

 台湾はFacebookの利用率が70%を超えているという事前情報があったため、近江ツーリズムボードのFacebookに「いいね」をしてくだされば甲冑と写真が撮れる、などアクションを起こし、多くの方に今後も近江の情報を発信できるように取り組みました。その結果、3日間で600以上の「いいね」をいただきました。また、この観光・物産博の記事に対しては5万人近くの方に見ていただき、多くの方に近江の魅力を知っていただくことができました。
 一般の方だけではなく、開催中に行われていた商談会へ参加し、40社以上の旅行会社の方とお話をしたり、参加者同士の交流会で全国の出展者と輪を広げたりと様々な方と交流をしました。また、観光・物産博前の23日はプリンスホテルと名生旅行社へ訪問し、名生旅行社では会長と面談し、有意義な時間を過ごしました。

 「近江」を「江戸」と認識されている方や、滋賀、彦根がどこにあるか知らない方も多くいらしたので、まずは知ってもらうこと、という第一目標は達成できたかと思います。また、Facebookを通じて魅了溢れる情報を今後も発信することにより、台湾から多くのお客様が近江にきていただけるように取り組んでいきます。
 今後も世界中で開催される様々な観光博に参加していきたいと考えておりますので宜しくお願い致します。

レポート

インバウンド×アントレプレナー講演会レポート

近江のファンを世界に広げ、近江の元気の原動力とするためには Part 2

須田健太郎氏

5月27日(金)、彦根商工会議所4階大ホールにおいて、須田健太郎さんを講師に迎え「インバウンド×アントレプレナー講演会」が行われました。演題は「近江のファンを世界に広げ、近江の元気の原動力とするためには」。OTBウェブマガジンで、3回に分けて連載します。Part 1はこちら

意思決定とスピード

 「22歳で大学を卒業し、26歳で会社を創る」ことを決めた須田さんは以後、「最短で世界企業を創れるかどうか」を基準に意思決定をしていくことになる。
 2005年12月、須田さんの人生が一変する。大学を中退することにしたのだ。世界企業の社長になるには、大学卒業の肩書は必要無い。一刻も早く社会に出て、自分自身が成長し、いち早く会社を創りたいという強い念いからだった。ITエンジニアを派遣する会社に入社した。就職は会社の仕組みを勉強するためだった。
 このとき須田さんは、26歳で会社を創るという目標を2年前倒し、「3年で資本金1000万を貯め24歳で会社を創る」と目標を修正した。
 社員数82人のベンチャー企業に、21歳最年少で入社した須田さんは翌年、トップセールスとなった。
 2007年5月退職。1年間で300万円貯金し、株式会社フリープラスを設立する。このとき「どういうビジネスを自分がやりたいか」、事業モデルはなかったが、世界企業を作ると決めてから、2年2ヶ月で実際株式会社フリープラスが生まれた。須田さん22歳である。
 FREEPLUSは、ITエンジニアの派遣業で会社を運営しながら、人生を投じるべき事業を探すことになる。1年目の決算で売上高が1・9億円。2年目の売上高が3・2億円。会社は順調そのものだったが、2008年10月、リーマンブラザーズが破綻して世界大恐慌がFREEPLUSを襲った。
 毎月赤字を計上するようになり、夜も毎日涙が止まらないぐらい苦しく、頑張ればなんとかなるという状況ではなくなった。会社をたたみ大学に戻るか、それとも銀行から借り入れし経営を続けるのか、2つの選択肢があった。結果、1500万円を銀行から借り入れた。
 同じことをやっても会社は潰れるだけである。経済が右肩下がりでも、マーケットが成長し、毎月継続的に収益が確保できるビジネスは何か…。須田さんが見つけたビジネスは「SEOサービス」だった。
 SEO(Search Engine Optimization・サーチ・エンジン・オプティマイゼーション)は、特定の検索エンジンを対象として検索結果でより上位に現れるようにウェブページ最適化を実施することだ。
 紀伊国屋書店に行き『よくわかるSEO』という書籍を購入し、1日で読み、これなら営業ができると思ったという。
 2009年2月、「SEOサービスをスタート」させた。一人で電話で営業をかけ、コツコツやっていった。3期目に黒字に戻り、4期目に安定した利益を稼ぎ出せるようになった。
 そして2010年、須田さんは「世界企業になるための事業」、「自分の人生を全て捧げてもいいと思える産業」を探し始めた。二つのこだわりがあった。ひとつは「B to C」。人と人が触れあうことによって、誰かの心が幸せになるサービスを人を介して提供したい。もうひとつは、「即座にグローバル展開が可能」ということだった。最初からグローバルに展開できるビジネスモデルを目指した。そして勿論、成長産業である事が前提条件だった。

日本の元気の原動力となる

 須田さんが、事業を探しているときに、耳に入ってきたニュースがあった。2010年、日本のGDPは1968年に西ドイツ(当時)を抜いて以来、42年間維持してきた米国に次ぐ「世界第2位の経済大国」の座を中国に明け渡すことがほぼ確定した。そしてその頃から、日本の家電メーカーもアジア勢に取って変わられるようになった。これからは人口が大幅に伸びる、人口ボーナスによるGDP増はほぼ見込めない。
 戦後、たった27年で日本はGDP世界2位の大国となった。それは、私達の先輩達が死に物狂いで、日本を立て直してくれたからであり、私達が平和の中で暮らすことができるのは、先人達のお陰なのだ。私達が日本の未来を創っていかなければならない。須田さんは25歳のとき、そう思った。しかし、少なくとも須田さんの周囲では、日本のために頑張ろうという若者はいなかった。若者がこの日本を背負っていかなくてはならない。会社を創るなら、世界にインパクトを与えることができる、この日本の国を元気にする事業をやらねばいけない。
 須田さんの世界企業へのこだわりはこれで三つになった。「B to Cであること」「いきなりグローバル展開が可能であること」、「この国を元気にできるビジネスであること」である。そして、見つけたのが訪日観光産業だった。
 日本は今までのように物を輸出することによって、外貨を獲得して国を豊かにしていくということはできない。外貨を獲得する有効な手段として、この国を観光立国させる。多くの外国人観光客に日本に来ていただくことで、外貨を得る。訪日マーケットはまだ盛り上がっていなかったが、全てぶちこんでいこうと決心した。
 「日本の観光立国を成し遂げて、日本のファンを世界に広げて、日本の元気の原動力になる」。
 FREEPLUSの掲げる使命はこのときに生まれた。  FREEPLUSは企業の使命以外にもうひとつ「人生に残る思い出をプレゼントする」という理念を掲げている。脳みそには80年分の情報が蓄積され続けていく。その中で実際に「自分の人生を振り返って、日本に行って本当に良かった」とそう思われる思い出を海外の方々にプレゼントしたい。
 使命は「やらなくてはならないこと」、理念は「やりたいこと」である。この「使命」と「理念」をベースに、須田さんは「訪日観光産業のありとあらゆる領域に参入をしていく」ことを決めた。
 訪日観光産業の中で、自己資本がなくても事業拡大しやすいビジネスが「訪日旅行業」だった。訪日旅行を企画し、提案して、発注をいただく。企画力と営業力をもっていれば参入できるビジネスだ。
 2010年の10月、訪日旅行業で世界企業を創ると決めた翌日、須田さんは単身上海に渡った。外国人観光客に特化したランドオペレーター事業を展開する今のFREEPLUSは、ここから始まった。(to be continued)

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お知らせ

会員紹介のお願い

 (一社)近江ツーリズムボードは、圏域の豊かな歴史や伝統文化を効果的に発信し、世界中から一度行ってみたいと思ってもらえる観光地域づくりを推進する法人です。経済団体等の主体的な連携と日本政府観光局事業の効果的活用により、国内及び訪日外国人旅行者の誘客に取組み、圏域経済の発展に資することを目的としています。

観光でもうかる すべての産業

 日本の観光産業には高い潜在性があります。観光産業が盛んな国では、年間でその国の人口よりも多い外国人客が来訪し、同時に観光産業関連で多くの雇用が生まれています。それに比べると、日本、近江地域にはまだまだ伸びしろがあると言えます。

ワンストップ窓口で 会員企業を強力サポート

 国内外の旅行業者や個人旅行者には、どういう経路で近江に来ることができるか、近江で宿泊できる場所はどこか、その周辺にどのような飲食店、バー、観光史跡があり、どう周遊するのが最も堪能できるコースか、などワンストップでご案内いたします。

消費額ベースの明確な目標を設定

 より域内観光消費額の高い顧客をターゲットに、域内観光消費額増加のために幅広い事業を展開することで、2020年には2015年比で、それまでの最高額を更新し続け、域内観光消費額20%増加を目指します。

 私たちと共に活動してくださいる企業様をご紹介ください。
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(一社)近江ツーリズムボード
Fax. 0749-26-2730