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2016.06.13

インバウンド×アントレプレナー講演会レポート

近江のファンを世界に広げ、近江の元気の原動力とするためには Part 1

須田健太郎氏

 5月27日(金)、彦根商工会議所4階大ホールにおいて、須田健太郎さんを講師に迎え「インバウンド×アントレプレナー講演会」が行われました。演題は「近江のファンを世界に広げ、近江の元気の原動力とするためには」。OTBウェブマガジンで、3回に分けて連載します。

業界一の成長スピード
FREEPLUS

 須田さんが代表取締役社長を務める株式会社フリープラスは、「人生に残る思い出をプレゼントする」ことを経営理念に、2010年訪日旅行(インバウンド)事業に参入した。5年7ヶ月で累計20万人以上の外国人観光客を、そして、2016年4月単月で2万6千人の外国人観光客を取り扱う企業に成長させた。この成長スピードは業界一である。
 FREEPLUSの設立は2007年。須田さん22歳の時である。理念と使命を軸にして、日本の訪日観光という領域で躍進する須田さんのインバウンド事業へ至る経緯と起業マインドを学ぶ講演となった。
 須田さんは、1985年マレーシアのクアラルンプールで、日本人の父とマレーシアの華僑である母との間に生まれた。現在31歳。幼少期をマレーシア、インドネシアのジャカルタで過ごし、10歳より日本に定住。大学入学後の2005年、今後の人生について「世界レベルの偉業」を成し遂げたいと考えるようになった。そして「1000万円をためて起業する」ことを目標に大学を中退。ベンチャー企業に就職する。2006年、勤務先の給与体系が変更されたことを機に退職、後輩と2人でエンジニアの派遣事業として株式会社フリープラスを立ち上げた。当初は順調だったが、リーマン・ショックにより一時は倒産手前まで落ち込む。その後、SEO事業に転換し業績は回復。旅行市場が未成熟なアジア各国からの訪日客は伸びしろが大きく、必ず商機があると考え、2010年、外国人観光客に特化した旅行事業をスタートしようと単身上海へ渡り、子会社を作った。
 当時、「とにかく君には無理だ。経験もないくせに外国人観光客に特化した旅行事業をやるなんて無理だ」という否定的な意見を浴びながら、外国人観光客受入れに特化した旅行事業をスタートさせた。東京オリンピックの開催も決まっていない時期にである。
 現在、売上規模としては前期、38億円の売上高を作っている。ほとんどが訪日旅行業から生み出されたものだ。社員は世界中に約140名、大阪本社、東京に支社と中国に子会社とインドネシアのジャカルタ、タイのバンコク、そして6月1日からフィリピンのマニラとクアラルンプールそしてホーチミンに営業所を開設し、世界8拠点体制となった。平均年齢は非常に若く27歳。海外の拠点でいうと、平均年齢25歳。FREEPLUSの取締役4名の平均年齢は30歳である。
 FREEPLUSのビジネスモデルは極めてシンプルだ。外国人観光客の受入れに特化したツアーオペレーション(ランドオペレーション)を行っている。海外の旅行代理店に、日本の旅行商品(団体ツアー・個人旅行)を企画・提供し、海外の旅行会社が集客を行い、催行が決定したツアーに必要なリソース(宿泊施設・ 移動手段・ 飲食店・ツアーアテンダント)を予約手配する。いわゆる日本国内のサービス手配を包括的に行っているのだ。現在、海外2200社以上の販売チャンネルと、21カ国約470社の旅行会社との取引実績を持ち、FREEPLUSの企画するツアー商品の8割が団体ツアー企画となっている。

22歳の起業
世界企業を作って死ぬ

 須田さんが22歳で起業したのは事実だ。決して会社を若くしてたちあげて、エリート街道を歩んできたわけではない。須田さんはインキャラ(「インドア」+「キャラクター」から成る合成語)であり、20歳までは、普通の若者となんら変わらぬ毎日を過ごしていた。
 2005年が人生のターニングポイントだった。須田さんは1月が誕生月で、20歳になったばかりである。インキャラだが、成人式には行かなくてならないと思い出席した。その夜、中学の同窓会があり、とにかく目茶苦茶に楽しかったという。家に帰り、今日の1日を振り返っていた時のことだ。
 「成人式はもう一生やってこない」。この当たり前のことに気づき、大きな衝撃を受けた。平均寿命からするとあと60年ほどで自分は死ぬのだと自覚した。
 死ぬとは…、生きているとは…?
その時、導き出した答えは「生きているというのは脳みそが生きている」ということだった。「脳みそが死ねば、身体は生きていても死んでいる」、須田さんは今でもそう思っている。
 例えば、人々は言葉を話し、脳みそが今まで蓄積した言葉のデータベースから適切な意味を検索し認識している。故に、人が生きているということは「脳みそに情報を蓄積し続けている状態」なのだ。
 脳は情報収集し続けている。全ては脳みそがコントロールし、かつその脳みその中の情報がそうさせている。脳みそはものすごい大容量のデーターベースなのである。つまり非常に優れたコンピューターと原理は同じだ。しかし、パソコンは壊れかければコピーしてバックアップをとり、新しいハードに移植すれば生まれかわるが、人間は死ねば脳みそは腐る。脳みそはコピーも復元もできない。脳みそに80年分のデータを蓄積し続けたとしたら、死ねばその80年分のネットワークは腐ってしまうのだ。
 いずれ消えてなくなる情報を何のために人間は脳みそというデータベースに蓄積し続けているのか……。自分が何故、一生懸命情報を集めてるのか……。須田さんは、「解らないが、それでもやっぱり生きていきたい」と念った。
 どうせ生きるのであれば、どうせ生きなければならないのなら、世界レベルの何かをしたい。この地球に爪痕を残すことができるような、デカイことがしたい。
 導き出したひとつの答えが「起業」だった。
 自分の能力は世界レベルではないが、自分より優秀な人を採用することで世界的企業を作ろう。会社を創り会社を大きくする。大きくし、更に大きくする。そしてこの会社が世界にインパクトを与えることができるくらいの世界企業になれば、自分が死んだ後も、会社がサービスを通じて人々を幸せにすることができる。少しは人類社会に貢献できるだろう。
 「世界企業を作って死ぬ」。20歳の須田さんの夢となった。(to be continued)

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